パワースポットでもある五色塚古墳の前方後円墳に行ってきた

神戸に前方後円墳というものがありながら人生で一度も行ったことがないというのは非常にもったいないなと思い、こうはしておれないという事で早速行ってまいりました。

 

最寄り駅は山陽電車の霞ヶ丘駅です。JRの垂水駅やJR舞子駅からでもこれなくはないですが結構歩くことになりので霞ヶ丘駅を下車するのがお勧めです。

開園時間は

午前9時から午後5時まで【入場は午後4時45分まで】

休園日は

年末年始

入場料は

入場料は無料で入ることが出来るんだって最高ですね。

入場は無料という事ですがしっかりと受付もありその受付を済まさないと中には入れないようになっています。受付案内所で受付を済ませたら、周辺の観光マップや五色塚古墳の歴史が載った資料等が貰えます。

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さぁそれでは前方後円墳の探索に出かけましょう

これが前方後円墳の丸い部分かぁ。歴史の教科書で見ていたものをこうも目の当たりにするとなんだか考え深いものがあります。

おっなんか書かれているものがあるので読んでみましょう。

こんなこと書かれています。

五色塚古墳と小壺古墳は、古墳が造られた当時の姿が見られる野外博物館として、文化庁が計画を立て、神戸市により1965年から10年の歳月をかけて発掘調査と復元整備工事が行われました。

五色塚古墳は、墳丘の全長194メートル、後円部の高さ18.8メートルの、兵庫県下最大の前方後円墳です。周囲は深い濠と今は見ることが出来ませんが、浅い濠で二重に囲まれています。

墳丘は三段に築かれ、下段の斜面には古墳付近で集めた小さな石を葺き、中段と上段の斜面には淡路島から運ばれた大きな石を葺いていました。墳長と格段の平坦面には鰭付円筒埴輪、鰭付朝顔型埴輪をめぐらせていて、およそ2200本立てられていたと推測されます。

濠の中には東西のくびれ部付近に方形マウンド(島状遺構)が造られているほか、円筒棺を埋めたマウンドもありました。

五色塚古墳では後円部にあると考えられる埋葬施設などの発掘作業は行っていません。古墳が造られた時期を推定する材料は少ないのですが、埴輪の形などからみて、4世紀後半ごろと考えられます。

まぁよく分かりませんが、4世紀半ごろの日本を体感できるんだからしっかりと味わえよってことでしょう。OK、了解です。

頂上に上るまでには激しい道のりを登らなくてはならないようです。この激しい道のりを登る前に用を足しておこうと簡易便所に立ち寄りました。

一歩前進してくださいという指令を受けました。もう既に前進するほどの隙間がないのにも関わらず前進をしてくれと言われました。とりあえずこのありがたい前方後円墳のトイレともめても仕方ないのでこの指令は無視して、自分の間合いを保つことにします。

するとつぎにこんな言葉が飛び込んできました。

なんという挑発的な言葉なんでしょう。倒置法を使う事によって意味や語尾を強調し敵対心を露わにしている。しかもそれをなんと便器が言っているようにしているではないか。

言いたいことを言えないから便器に言わせている、散々あおっておいて最後は便器でしたーーと言って逃げている。便器は話しません。

あの長い階段を上り終えました。前方後円墳で言う棒状の所の上に立っています。景色はこんな感じです。雑草だらけですね(笑)

棒状の部分から円状の部分を見てみました。

おぉ!前方後円墳に来たって感じがしてきたよ、じいちゃん。

ほんでもって次の看板が目に入った。なかなか面白そうなことが書いていそうなので読んでみる。葬られた人物というテーマ

五色塚古墳、小壺古墳は須磨から明石にかけての海岸線が最も突出した所に造られています。墳頂からは、明石海峡をへだてて淡路島が望め、右手に播磨灘、左手に大阪湾、天候が良ければ小豆島や紀伊半島、友ケ島まで望むことが出来ます。

現在は眼前に埋立地が広がりますが、五色塚古墳、小壺古墳が造られたころの海岸線は国道2号線付近で、海を見下ろす位置に当たります。

そのため明石海峡を中心とした海陸交通要衝地を支配した人物が葬られているのではないかと考えられます。

要は金持ちの墓ですか。

どんな人物がこの墓に眠っているのか分かったところでメインの踊り場のようなスペースにいってみよう。また階段がありますが今度は短いのでまぁ何とか大丈夫でしょう。

頂上に着きました景色が最高です。頂上は結構広いですね、ここでドッチボールをやってみたいです。受付の人にシバかれることでしょう。

古墳の埴輪ってもっと違うイメージがあったんですけどここの埴輪はこういうやつみたいです。顔とか書いてある人形みたいなん想像していたんでちょっと残念。そっちを見たかったわ。

埴輪についての説明がありました。

五色塚古墳では、墳頂部、上段平坦面、中段平坦面の三段に埴輪が並べられていました。古墳全体ではおおよそ2200本もの埴輪がめぐらされていたと推測されます。

埴輪の大部分は鰭付円筒埴輪で、4~6本に1本の割合で鰭付朝顔型埴輪が立てられていました。埴輪列は、幅0.5~0.7m、深さ0・4~0.5mの溝を掘り、その中に鰭が接するか前後に重なるように並べ、土で埋めて固定しています。

また蓋型埴輪や家形埴輪、盾形埴輪なども少量発見されています。後円部と前方部墳頂の埴輪列は、出土した埴輪をもとにして鰭付円筒埴輪と鰭付朝顔形埴輪を合成樹脂で製作し、復元しました。

いろんな種類の埴輪も発見されていたんですね。

めっちゃパワースポットだったわ

私が行ったときには見学者は自分だけしかいませんでした。なのでゆっくり見学できましたよ。海が近いので潮風も気持ちよい、ほんでもって風が異常なまでに強いです。かつらの人は予備のかつらを忘れずに。

昔の日本人が立てた巨大な墓の上に乗っているというだけでも歴史好きな私にとってはパワーを貰うことが出来ます。明日からまた頑張ろうと思えるパワースポットだなと思います。

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